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日本の鮨文化を伝える

一連の私の著書をお読みになった方々は、私の主張は、つまるところ、医師=富裕層だから、医者になれば、将来お金のあるいい暮らしもできるし、美人の嫁さんもゲットできるという拝金主義的な考えに凝り固まっている、とお考えになるかもしれません。  私自身、それをあながち否定するものではありません。「清貧の思想」より「衣食足りて礼節を知る」の方こそ人類普遍の真実だと思いますし、大手商社マンになった私の教え子は、「日本人として、世界の人たちを精神的にではなく物質的に豊かにすることを座右の銘として自分は働いており、それが生きがいです。やっかみからエコノミックアニマルと揶揄されても平気です。」と堂々と述べ、後輩に慕われ続けている好漢です。    医者は日本の鮨文化を育成維持すべし、というといかにも唐突に聞こえるかもしれません。  あえて言います。日本の典型的な富裕層のひとりである医者は、日本の典型的な食文化である「鮨」文化を育成維持する義務を負っている、と。  それについて、私の持論を述べたいと思います。

 まず文化とは実は非常にひ弱で壊れやすく繊細なものだということを押さえておきたいです。今も音楽で世界中の人々の心を潤し続けているモーツァルトも、1人の働き人としてだったならばただの男で、それどころか、ただの男以上に、いかにもひ弱で、実際短命で終わっていますし、手厚い当時の貴族たちの庇護がなければ、その膨大な音楽活動による珠玉の所産も成立しなかったものと思われます。  日本の料理を代表する「鮨」もひ弱な日本文化の一つです。 日本の漁師が外国のただ魚を獲るだけの漁師と違い、将来鮨に供することを前提にきちっと「殺(し)める」ことを以て仕事の仕上げとなす点ですでに決定的なアドバンティジをもらっている、逆に、いくら海外で中国人や韓国人が、日本の料理店への国際的信頼を当て込んで、自らも日本人を装い、まがい物の「日本料理店」や「鮨屋」を開き、うちの鮨ネタはアラスカ産のサーモンだとか、インド洋のマグロだとかうそぶいても、釣った漁師が日本人漁師でなければアドバンティジはない、ということです。 夏の一時期にしか獲れない幻の魚と言われるコハダの稚魚のシンコを三枚におろしそれをわずか1貫の鮨飯の上に乗せる繰り返しを強いられる鮨屋としての修行や、実は、「鮨」とは決定的に違う「日本料理」はつまるところ、お客が最後に一杯のお茶をすすることで満足を得る、いわば最後のお茶で「画龍に点睛を与える」食べ方をよしとするゆえに、料理そのものは極力昆布とかつおのみでだしを取る薄味のかたちで貫かれていること・・・これら意固地なまでに繊細とひ弱のまま自らを保とうとする「鮨」や「日本料理」のありようこそ、日本の食文化の真骨頂とも言えるのです。

 これを育成維持するのは医者という富裕層群像の責務です。もっと詳しく言えば、医者を接待する製薬会社のMRさん(昔で言うプロパーさん)と医者との合同の責務なのです。  さらにもっと詳しく言えば、接待慣れした熟練のMRさんは、ペーペーの頃の医師をなじみの高級鮨屋に連れて行き、これまで医者になるために猛勉強するしか能のなかったその若手医師に、鮨にまつわるうんちく話を鮨屋の大将とともに、まるで歌舞伎役者の子どもに稽古をつけるかのように、一食ごとにいやというほど語って聞かせ、若手医師の方は、おいしい鮨をいただきながら、その持ち前の若く怜悧な頭脳に「鮨文化」をいやというほど叩き込まれる仕組みです。 もちろん、MRさんは自社の薬品を買ってもらいたいからこそそうした接待を行うわけですが、そんなことは資本主義の世界では当たり前のことです。またそん所そこらの将来伸びるかどうかわからない若者ではなく、確実に伸びることを約束された若手の医者だからこそ接待を受ける、というのも当たり前のことです。 それは投資だからです。投資とは「還り」の確率の高い方に向かうのは当然です。  ここで若手医師は、苦しい受験勉強をして医者になってよかった、と心から思い、今度は自腹を切ってこういう高級鮨屋に来ようと決意します。将来子どもができ、わが子を医者にしたければ、かつてMRさんや鮨屋の大将に聴かされたうんちく話を子どもに語って聞かせ、医者になることを子どもにもわかりやすい「おいしいお鮨が食べられる身分」になることに置き換えて説明するのもいいでしょう。  文化の継承とはそういう形をとるしかないものと思われます。

  ところで、今こうした鮨文化を育てる「MRさん⇔若手医者」体制が崩れかけています。外資系の製薬会社から横槍が入り、そうした接待はいわゆる「談合」に等しいというまことしやかな理屈がまかり通ることになり、2012年あたりから全面的に禁止されることになりました。外資系にしてみれば、先発隊である日本の製薬会社に既得権を持たせ続けられるのは何としても阻止しなければならない、との思いがあったのでしょう。それに対応する日本の製薬会社も、いっそのこと接待費を削減できて結構なことだ、ぐらいの認識が生まれたのでしょう。 ここはひとつ日本の製薬会社に、外資系に対して「これは談合や接待などではない、日本文化の防衛と継承行為の一環なのだ。君たち日本文化に疎い野蛮人にはわかるまいが、これが日本文化なのだ」とうそぶくぐらいの意気込みを持ってもらいたいものです。 すぐれた医師像とは何か、を問われるとき、もちろん患者からの信頼の高さや、業績の素晴らしさは何よりも上の存在ですが、富裕層ならではの業、すなわち日本の食文化の担い手たらんとする意志を持った医者というのも一つあるのではないか、と思われます。 私は、先ほど述べたMRさんが若手医師を高級鮨屋に接待し日本文化を育成維持する仕組みが今、崩壊の憂き目にあるなかで、少しでもその維持に努めようと、ビッグバンの学生講師=若手医師の卵たちを高級鮨屋に連れて行くことにしています。塾としての営業活動の側面ももちろん兼ねて、です。彼らはMRに代わって登場した私によって高級な鮨にありつく機会が他の学生より多いです。おかげさまでわが進学塾ビッグバンは、優秀で熱心な学生講師に恵まれています。 私に鮨文化を教えてくれたのは、近畿大学の元商経学部長、島田教授と、教授に連れて行ってもらった大阪キタ新地の名門、鮨処「平野」でした。私が30歳代後半の頃で、世間はバブルが崩壊し、世に回転ずしというものが出回り始めていました。先に述べた、鮨屋や日本料理にまつわるうんちく話は、この粋人島田教授と、客から選んでもらうではなく、客を選ぶ「会員制=一見さんお断り」の誇り高い立場を貫く鮨処「平野」から教わったほんの一部です。 わが子が小学校に上がるころ、粗忽者の私に代わり、子どもたちは次々に「平野」の女将さんから箸の持ち方をはじめ食マナーの逐一を習い、どの職業についても恥ずかしくない食べ方を身に付けることができました。子どもたちが大きくなり、私自身、経済的にも少し潤うようになると、今度は、他人の息子や娘たち、すなわちわがビッグバンの学生講師たちを連れて行って、女将さんや他の客たちから学ばせることができるようになりました。 客の中には、医者も多数いて、ペーペーの頃、MRさん(当時はプロパーさん)に連れて行ってもらった、日本一のお鮨屋さん、鮨処「平野」に、ついにわが子が医学部大学受験で合格した暁に連れて来ることができました、本望です、と報告している親子連れもいました。

 鮨処「平野」の女将さんは言いました。 「日本はバブル以前から色々な時代がありました。不動産屋さんが幅を利かせたこともありましたし、ITの若い経営者がきれいどころを連れて高級鮨店に連日来て下さったこともありました。でも、時代とともにほとんどみな消えていきましたね。やはり日本では一貫してお医者さんをMRさんが接待する図式だけは変わらないです。お医者さんを捕まえておけばうちらのような鮨屋は大丈夫なのです。」 けれども、先に述べたように、今、外資系製薬会社の圧力で、日本の製薬会社のMRが医者を接待するという構図が消えようとしています。大げさに言えば、日本の鮨文化を外資系が破壊しようとしているのです。 精神的余裕のある良き医者は、日本の鮨文化の担い手たらんとする気概を持つべきで、かつて接待をしてもらったMRさんに成り代わり、今度は自腹を切って、これは、と思う高級鮨屋に、有為な後輩をどんどん連れて行くべきだと思います。さながらモーツァルトやベートーベンを育成し、後世に珠玉の作品をもたらしたヨーロッパ貴族のように、です。